藤原です。
僕のおばあちゃんに
残された時間は
あまりありません。
余命3〜6ヶ月だそうです。
おばあちゃんは
数年前から施設で暮らしています。
その理由も物忘れが
ひどくなったからです。
今は息子の名前も
忘れてしまっています。
当然、僕を含めた
孫たちの顔も名前も覚えていません。
唯一覚えているのが、
自分の名前とおじいちゃんの名前。
僕は後悔しています。
小さい頃からずっと
可愛がってもらっていたのに、
その恩を返すことが
できていないからです。
おじいちゃんが
亡くなった時に後悔したのに、
また同じことを
繰り返そうとしています。
なので、
少しでもおばあちゃんが喜んでくれるようにと
僕のお父さんとお母さん、僕、妹の写真を集めて
アルバムをプレゼントしようと思います。
施設の外に連れ出すこともできないし、
面会も予約制で10分だけ。
残りわずかな時間かもしれませんし、
僕のことはわからないかもしれません。
でも、可愛がってもらったおばあちゃんに
感謝の気持ちを伝えるべく、
やれることはやりたいと思います。
そんなおばあちゃんですが、
実は2回ほど危険な時がありました。
数年前に意識がなくなり
「危ないかも…」
という連絡が入りました。
でも、助かりました。
実は先日も別の病気が発覚して
熱が下がらなかったらやばいかも
という状態だったのです。
しかし、今回も助かりました。
ただ今回の場合は
余命宣告されました。
先日、急遽おばあちゃんに
会いに行ったんです。
「元気ないだろうな〜」
「痩せ細っていて
元気だった面影がないのかな〜」
「会話できるかな?」
会う前はいろんなことを
考えていました。
そしておばあちゃんが車椅子に乗って
施設の職員の方に押されてやってきました。
たしかに痩せています。
でも、なんだか顔は元気そうなんです。
しかも、よく喋るし。
あと数ヶ月しか生きられない人とは
思えない姿でした。
元気な姿を見れて安心しました。
でも、なぜおばあちゃんは
2回も元気になれたのか?
科学的に証明できるものではないですが、
僕はあることが関係しているのではないか
と思います。
おばあちゃんの実家の近くには
山があります。
山の中腹あたりに神社があるんですが、
神社まで行くには坂道と階段を
登らなくてはいけません。
結構、しんどいです。
とくに年齢を重ねるとかなりハード。
実はおばあちゃんは
毎朝神社の階段を
掃除していたんですね。
それで表彰もされています。
優しいおばあちゃんだったので、
きっと他にも徳を積むような行動を
たくさんしていたんだと思います。
僕が思ったのはおばあちゃんは
神様に守られているんではないか
ということです。
確かに息子や孫の名前は
覚えていないかもしれません。
きっと悲しいし、悔しいのだと思います。
でも、今の体の状態的には
痛みに耐えるのがとてもつらいんですって。
痛いのも忘れているのだそうです。
ある意味、
それは幸せなことなのかもしれません。
2回の危険な時も乗り越えてたことも含めて
神様が助けてくれるんじゃないか、と。
実際に神様がいるかどうかなんて
わかりません。
でも僕の目の前に何度も元気になって、
最後は苦しむことなく
逝けそうな人間がいます。
もちろん、
世界中には徳を積んだからといって、
長く生きれない人もいます。
でも、徳を積むことで
損をすることはありません。
むしろ、良いことをした
という自己肯定感を
上げることができます。
人生は一回ポッキリ。
今日の行動が明日を作り、
明日の行動が明後日を作り、
日々の積み重ねが人生を作る
と思っています。
だから1日を全力で生き切る。
今日1日の行動は
今日死んでも後悔しない行動なのか?
を日々確認する。
そうしなければ、
後悔が残る人生になるんじゃないか
と思います。
その1つとして
徳を積む行動をいかに多くできるのか?
人生を終える時に培ってきたものが
全て結果に現れれるのかなと、
おばあちゃんを見ていて思いました。
あなたが今日やることは
死んでも後悔しないものなのでしょうか?
(株)FJC代表
藤原由基